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日本画 菊池契月
日本画・菊池 契月(きくち けいげつ)は1879年(明治12年)に長野県中野町(現・中野市)の資産家の次男として生まれた日本画家で人物画を得意とした。 幼い頃より絵を好み13歳の時に南画家・児玉果亭に入門、「契月」の雅号を与えられる。 しかし小学校高等科卒業後は職工をはじめ職を転々とするも絵に対する思いを捨てられず、17歳の頃に妹の結婚式のドサクサにまぎれて家出をし京都へと出奔した。 18歳になって京都四条派の流れをくむ日本画家・菊池芳文に師事し、その娘と結婚をしてから菊池姓を名乗った。 才能の開花は早く、19歳で第2回絵画共進会展に出した「文殊」が一等を得て以降毎年受賞を重ねていき、たちまちの内に世に知られる存在となった。 1909年に文部省美術展覧会(文展)に出品した「悪童の童」は今日でも新鮮な感動を与えてくれる作品となっている。 題材は平家物語からとったもので、町の中に平家の悪口を言うものがおれば六波羅に通報するという役割を持たされた子供達と、その目を恐れるかのように見守る町の人々が描かれている。 子供ではあるが憲兵に似ていかにもあくどい顔つきをしている子や、子供らしく可愛らしい表情の子もいて、思わず感情移入してしまいそうになるくらい実に写実的に人物を描きこんでいる。 その画風が一変する契機になったのは、1922年(大正11年)から1年に及ぶ欧州視察でルネッサンス時代のフレスコ画や肖像画に触れたことであろう。 帰国後に描いた「立女」がその変化を如実に表す作品で、西洋の宗教絵画を思わせるようなタッチで、これ以降徐々に個性がきわだつ作風へと変わっていった。 昭和に入るとさらに新しい作風が加わるようになった。 その代表作「少女」は昭和7年の作だが、均一でクールな線と抑制された控えめな色彩で描かれており、日本的な少女の持つ爽やかな内面を描ききっていて、見る者に淡い恋情を偲ばせるほどである。 最晩年のころには水墨風の洒脱や軽妙を見せる小品を多くを遺したが、75歳で天寿を全うした。
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